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自宅ゲーセンを作った理由と今後について


自宅ゲーセンを作る理由は、作った人の数だけ存在すると思います。

私が初めて自宅にゲーセンを作りたいと具体的に思い描いたあの日から実現まで20年
そして実現から10年が経過した今、
私にとってのゲーセンとは、ゲームとはなんだったのかを、今一度振り返ってみたいと考えました。

私が最初にアーケードゲームに関心を持ったきっかけは、デパートで偶然みかけたゼビウスでした。
そして1984年頃から近所の駄菓子屋に通い始め、1985年に訪れた近所のボーリング場で見たグラディウスや魔界村でアーケードゲームへの想いは本格的に加速し、さらに遠方の都会の大きなゲームセンターにまで足を伸ばすようになった1985年の暮れ、その後の私の運命を変える作品と出会うこととなりました。

その作品の名は
「スペースハリアー」

最早説明不要のこの名作を初めて見た時の感動は今もなお多くの方が語られていますが、多感な少年期に私がこの作品と遭遇した時の衝撃はあまりにも壮絶なものでした。

それまでは何か新しいゲームと出会ったとき、システムが斬新だったり、グラフィックが綺麗だったりと、あくまでそれまで得てきた自己の常識の延長線上に認識をして感動してきたものですが、このスペースハリアーを初めてみた私の脳内では、この作品の存在を「それ以前の常識の延長線」に置くことができませんでした。
まったく思考処理が追いつかず、目の前の光景を現実のものとして受け入れる事が暫くできませんでした。

感動や興奮といった感情を超えたあんな体験は、今日までのビデオゲーム人生においても他に思い浮かびません。

当然の如く、その日からというものの、どこにいても、寝ても醒めても、頭の中はスペースハリアー一色の生活が始まりました。
スペースハリアーが入荷していたのはその遠方のゲーセンだけだったので、プレイできるチャンスが訪れるのは日曜のみでした。
毎日高まり続けるスペースハリアーへの思いをノートに書き記して持ち歩き、夢を膨らませていきました。
土曜日の夜は楽しみのあまり眠る事ができず、日曜日は早朝からゲーセンの前で開店を待ちました。
開店直後の閑静な店内に響き渡る「Welcome to the Fantasy Zone, Get Ready!」
一週間待ちに待ったあの瞬間の興奮は今も鮮明に覚えています。

当時私は既にいくつかのアーケードゲームをプレイしていましたが、何一つクリアには至れない腕前でした。
しかし幸いなことにこのスペースハリアーとはかつてない相性の良さを感じ、程なくして、人生で初めてのアーケードゲームのノーコンクリアをこのスペースハリアーで達成することができました。

気付くと筐体は何人もの大人に囲まれていました。
エンディングを見届け胸の高鳴りを押さえながら、まだ小学生だった私は慎重に筐体の座席を降りると、見知らぬおじさんが私の頭をなでて「よくやった!」といった感じの賛辞を与えてくれました。
小学生には場違いな大人ばかりの都会のゲームセンターの中で私が主役になれた瞬間であり
ゲームで人に認めてもらう喜びを初めて知った瞬間でした。
この時から、私は本当の意味でゲームとゲームセンターを好きになったのだと思います。

それからというものの私は常に、ゲームとゲームセンターが大好きという自分の気持ちを包み隠さず発信し続けました。
そしてそんな私を理解し、共感してくれる仲間たちと、ゲームのお陰で出会うことができました。

高校に進学するとゲームへの想いはさらに加速していきました。
そしてついに、思いを通わせた10人程の仲間達と多数のゲーム機とテレビ、パソコン、数枚の本物のアーケード基板や、80年代はまだ非常に高額だったビデオプロジェクターまでもレンタルし、1日限りのゲーセンを作ろうというイベントを企画、実行するに至りました。
その想像を超えた余りの楽しさに時間は一瞬で過ぎ去り、刻々と終了時刻が迫る中、「この一日がずっと続けばいいのにね…」と笑顔で語り合った思い出は今も忘れる事はできません。

高校を卒業し進路の違いから彼らとは疎遠となりましたが、お盆かお正月だけは皆を集め、徹夜でゲームをしたり、ゲーセンに赴いたりしてきました。
しかし就職や環境の変化から仲間達との距離はさらに開いていき、同時に彼らのアーケードゲームへの関心も薄れていきました。

それでもなお私はあの楽しかった日々を忘れることが出来ずに、一人でゲーセンに赴き、また自宅の片隅に置いたアーケード筐体で、仲間との思い出のアーケードゲームをプレイし続けていました。

もしも、あの一日限りのイベントの時に仲間が語った「この一日が毎日づづけばいいのに…」が現実になったのなら、彼らはもう一度、あの頃の熱い思いを蘇らせてくれるのだろうか。

毎日続くあのゲーセンイベント、すなわち、ゲームセンターをイメージしたプレイスペースの実現。

これは、何年経っても諦めきれない私の夢でした。

しかしその夢を現実のものとすることはあまりにも非現実的でした。
いつの日かそのチャンスが巡ってくることを夢見て、少しずつ筐体や基板を準備しながら、気づけば20年の歳月が流れていました。

ある日、古い自宅の補修に来ていた業者から、家全体の耐震補強工事の必要性を強く指摘される出来事がありました。
かなり本格的な工事となるため、家財道具の多くを一時的に排出する必要があるとのことでした。
自宅内には90年代初頭から集め始めたアーケード筐体が散在し生活スペースを圧迫していたため、家族から「もうこの際すべて処分するか、保管用の物置を準備するか、どちらかにしてほしい」との選択を迫られました。

筐体を無理なく収容できるスペースを有した物置を準備することは予算的に難しく、かといって廃棄の決断もできなかった私は、ひとまず中古のユニットハウスを購入することを検討しましたが、積載できるトラックが自宅に侵入できないことが判明しました。
耐震工事は先延ばしに出来ず、私が長年思い描いてきた夢は潰えようとしていました。

しかし、その耐震工事を請け負ってくれていた地元の工務店の担当者様が、筐体の存在に興味を示してくれました。
なぜこのようなものが自宅にあるのか、私はその経緯や、ゲームへの想い、仲間たちとの思い出と、捨てきれなかった夢を話しました。
すると「今、たまたま中古の部品の在庫があるのでそれらを利用して頂く条件で、かつ耐震工事と工期を合わせれば、ご予算内でかなりのことができるかもしれない」とのお声を頂きました。
まずは図面を書いてみて欲しいと言われた私は、20年温めてきたイメージを、内装、照明に至るまで一気に書き上げました。

今はゲームから遠ざかってしまったかつての仲間達に、この物置であの頃通ったゲーセンにタイムスリップしてもらい、もう一度ゲームに夢中になってくれるきっかけを作ることが願いであり、中途半端な再現度ではタイムスリップなど出来ないから、とにかく雰囲気にはとことん拘る必要があるのだと伝えました。

図面を見た担当者からの「なんとかなるかもしれない。」の一言は、今も決して忘れることは出来ません。
その後も打ち合わせのたびに私が「予算的にここは妥協します」と伝えれば「私たちは長年の夢の実現を手伝えることが嬉しいのだから、妥協はしないでください。可能な限りなんとかします」と言ってくださいました。

顧客が本当に求めているものを探り、その願いを叶えるために最善を尽くす、

この担当者の仕事への信念は、今でも毎日私自身の仕事の根底に響き続けているほど、深く感銘を受けました。

私の自宅ゲーセンは、
私がゲームとゲームセンターを好きになるきっかけとなった名作
私に夢を与えてくれた仲間たち
私の夢を見守ってくれた家族
顧客第一の仕事への信念を持った業者様

そんな多くの存在に支えられて初めて実現できた奇跡でした。

仲間たちとの交流や、空間と筐体の維持に注力してきたこの10年でしたが、思えば肝心のゲームプレイに関しては、過去の自分の限界を超えることはありませんでした。
仲間たちに当時の想いを蘇らせることが目的ならば、ゲームプレイもあの頃と同じ結果に甘んじていていいのだろうか。
もしゲームプレイにおいても、30年前の全盛期の自分を超える技術や熱意や結果を示すことができたのなら、仲間たちのゲームの関心をさらに高めたり、「自分たちもまだやれるかも」「もっと楽しめるかも」という希望さえも与えることが出来るのではないか。
ずっと大好きだったゲームを通じて、もしそんな奇跡を起こすことができれば、そればどんなに素晴らしいことだろうか。

10年の節目を迎えた今は、そんな新たな夢にむけ、大好きだった名作たちを一つ一つ、
かつての自分の限界を超えるため、そしてかつて以上にゲームを楽しむため、
楽しい悲鳴をあげながら必死にやりこむ日々を送っています。
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テーマ: レトロゲーム | ジャンル: ゲーム